慢性的なトラウマが引き起こす症状

「2018.3.2」を覚えてますか?

ラッパー般若さんが曲のタイトルにしているものですが、これは目黒区の船戸結愛ちゃんが両親からの虐待により亡くなった日です。当時、5歳でした。亡くなる直前、ノートの切れ端に「もうおねがい ゆるしてください」と書き残していたことはたくさんの人の記憶に残っているかと思います。
当時般若さんは事件現場のすぐ近くに住んでいて、般若さんのリリック(歌詞)の中には「知らなかった」ことへのやるせなさが綴られています。

前回は、犯罪被害や被災など「単回生のトラウマ」によるPTSDを中心にその症状と回復についてまとめた内容でしたが、今回は虐待やDVなど慢性的なトラウマが引き起こす症状について取り上げたいと思います。私が今回このトラウマについて扱いたいと思ったのは私たちにとってこの問題が他人事ではなく身近なものになってきているためです。

令和4年度中の報告によると、全国232か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は219,170 件で、過去最多と言われています。また警視庁の発表では、令和5年の配偶者からの暴力相談等の相談件数は、9,092件で、前年から703件(8.4パーセント)増加してこれも過去最多となっています。

今では、虐待やDVはよその家庭で起こる悲しい事件ではありません。このブログを読んでくださっているあなた自身がその被害者であったり、またパートナーや友人・知人がその被害者の場合もあるかもしれません。

今回も前回に引き続き「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア」から慢性的なトラウマを経験してきた人がどんな症状を持っていてそれと闘っているのか、少しでも知っていただければ嬉しく思います。

異常が日常になってしまうと?

養育者からの・・・

・身体的な虐待
・言葉の暴力「お前はダメな子」「うまれなければよかった」
・DVを目撃する
・衣食住をはじめ子どもが必要とする世話や関心が与えれない
・親との分離
・性的虐待

幼いときに、もし上記のような辛い出来事をたった一度でも経験していて、周囲にそのつらさを受け止める環境が存在しなければ複雑なトラウマを受けたような症状にもなります。たった一度されど一度、幼少期の逆境体験はその後の後遺症があまりにも大きいものとなります。

災害や事件など単回性のものと、慢性化した複雑なトラウマとでは、後遺症の性質が違ってきます。どう違うのでしょうか。

たとえば一度の災害によるトラウマだとしたら「日常とは違う異常な体験をした」のだと、理解することができます。悲惨な出来事であってもあくまでも起きた事態が異常であって「自分自身に対して」異常だとは考えません。

しかし、虐待の場合にはわけもなく被害を受けるという「異常な体験」が、何度も繰り返されて日常となってしまいます。そのため自分がおかしいのか、相手や周りがおかしいのかわからなくなり、自分や世界に対する考えに確信を持つことができなくなります。なので、異常が日常になる慢性的なトラウマは、身体や心により深刻な影響を及ぼすことになります。

DESNOSー「他に特定されない極度のストレス障害」を読み解く

DESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified(特定不能の極度ストレス障害)」とは、トラウマ研究の世界的権威であるヴァン・デア・コークが、統計学的手法を用いて作った診断基準の試案です。「DESNOS」はA~Eまでの5つの症候として整理され、慢性化したトラウマが引き起こす状態を理解するのに役立ちます。

感情に何が起きるか

DESNOSのA症状は、感情のコントロールができない、危険な衝動や行動を制御できない状態です。

感情のコントロールができない
感情は人が自分の状態に気づくための大切なサインです。が、人間にはこの自分の気持ちや行動をコントロールする能力は最初から持っていません。生まれたばかりの
赤ちゃんはまだ神経が未発達で、気持ちを調節することを知りません。
赤ちゃんが最初にできる感情表現は泣くことです。お腹がすいたり、オムツが濡れて泣くこともあれば、ただ泣くこともあります。そして泣けば周りの大人が欲求を満たしてくれます。赤ちゃんは、「苦痛なとき泣いてもいい、大人を頼りにしていいんだ」と、その経験から学んでいきます。この過程は自分の存在が認められて、人を頼ったら助けてもらえるという、信頼関係を築くのに大切な土台になるので、その後の人生での人間関係の構築や問題解決の仕方、セルフイメージにも影響を与えていきます。

そういった過程を経て、生後1年〜2年かけて自己調整を司る神経が発達し成熟していきます。さらに感情に関する気づきも育っていきます。幼児へ成長していく過程で、子どもは自分や自分以外の人にさまざまな気持ちがあることを学びます。

大人は、小さな子どもがニコニコすると、同じように頬笑みながら「嬉しいね」「楽しいね」と伝えます。子どもが不快さを態度で表現すれば、同じように顔を曇らせながら、気持ちを察知して「悲しいんだね」「さびしかったのかな」と伝えます。

これは「情動調律」といって、いわばピアノの調律のように、相手の音(感情)に自分の感情を共鳴させながら、その音を名づけ、気持ちにドレミファをつけていく作業です。こうやって子どもは、無音のままでいたり、ただ鍵盤をバーンと叩いたりするのではなくて、自分の音(感情)を感じとって強弱をつけてメロディを奏でる(感情表現する)ことを身につけていきます。
そのためには子どもと大人との間に、お互いが自然に共鳴しあうような密接な関係が必要です。

また大人は「叩いちゃダメだよ」などと、行動の限度も教えます。泣ている子どもに「どうしてほしいのか言葉で言ってごらん」とうながしたりもします。そうすることで子どもは、自分の言動をコントロールしたり、自分の要求を周囲との関係の中で適切にかなえることを学んでいきます。

私は男兄弟で育ったので、子どもの頃は力のコントロールができず、ブランコなどで女の子と遊んでいた時に力が強すぎてよく泣かせてしまっていました。相手の感情に触れることではじめて、自分の力の調整が必要なことをそこで学んだ記憶があります。。

今までの流れは一般的な家庭で育つ子どもの成長過程ですが、虐待の中で育つ子どもや発達性トラウマを抱えるような環境で育つ子どもには何が起きているんでしょうか。

自分の要求が満たされるかどうかは、大人の気分や都合次第で決まります。子どもが同じふるまいをしても、殴られることもあれば、食べ物をもらえることもあって、そこには一貫したルールというものは存在しません。 子どもは何もしていないのに、いきなり殴る蹴られるなど人間サンドバックにされることもしばしばです。

そうすると子どもは、自分で気持ちや行動をコントロールする術を学ぶことができないまま、「虐待者」にコントロールを委ねた状態になってしまいます。気持ちも衝動も、抑えつけられた状態になり、調整能力を育てることができません。

そういう環境で育った子どもたちは大きくなって、虐待者の影響から一歩踏み出し外の世界に触れて初めて気づきます。 自分の気持ちがどうなっているのかわからない自分、自分がその身体の持ち主であるはずなのに自分の心も言動も体にさえも主体が伴っていないこと、自分に価値があるとは感じられない自分に・・・です。

おかしいのは自分ではなく相手が異常だったことに気付かされても、何年もの間、自分をどう扱ったらいいのかわからず、受けた後遺症ゆえに苦しむ人たちも多くいます。

・自分を傷つけてしまう理由
虐待を受けた子どもは、感情を抑えこんで育ちます。
特に、怒りという感情を長いこと抑圧しています。そのため、いざ怒りを表現できるような環境になったとたん、制御がきかない状態になってしまいます。身近にいる、自分を攻撃しないことがわかっている誰かに向かって、爆発してしまったりします。

またそれとは逆に、怒りや攻撃性が外に向かわず、自分自身へと向けられることも日本人には多くみられます。
自傷行為は、赤ちゃんがやる壁や床などに頭を打ちつける「頭打ち」のようです。気持ちのドレミファを教わらずに育ったため、悲しいのか寂しいのか何なのかよくわからない「欲求不満」の状態を自分の中で抱えきれなくなります。それで自分の感じた不快な感情を何とか自分でコントロールしようとした結果が自傷です。

その手段は、成長するにつれて、自咬 (自分の手などを噛むこと)、ひっかき、抜毛、道具などが使える年齢になると、リストカットや薬物使用などさまざまな危険な行動へと発展していきます。
目的は不快な感情をコントロールするため、あくまでも自分を助けるためにやっていることですが、実はそれがさらに自分を傷つけ、自分をコントロールできないことにつながってしまいます。

記憶のコントロール

次は、DESNOSのBの症状「健忘と解離」です。「健忘」は、記憶をめぐる調節の障害です。

健忘
慢性的なトラウマを抱える人の中には、日常に体験していることをぽろぽろと忘れてしまう人がいます。そうかと思えば、ちょっとした出来事を隅々まで映像のように鮮明に記憶していたりすることもあります。この過剰記憶と健忘は、セットになって現われることもあります。

ぽっかり忘れてしまう症状は特にトラウマからの回復期に起きやすいので、あまり自分を責めたり、悲観的にならずに、忘れると困る約束や予定はこまめにメモするなど、実際にできる対策を考えておくのは助けになります。最近はスマホでリマインダー機能がいろんなアプリで使えるので自分に合ったものを使ってみるのもアリですね。ちなみに私はラインのリマインダー機能をよく使っています。

・多重人格と 「超」 多重人格
実は、私たち人間はみんな、多重人格です。どんな人にも一人の人間の中に多面性があって、いろんなモードがあり、パーツ(自我状態)があります。例えば、いつも冷静で客観的に分析しているパーツ、怒りを抱えているパーツ、怖がっているパーツ、力強くチャレンジ精神にあふれたパーツなど数えたらキリがありません。

また子どもの発達段階から見ても面白いです。赤ちゃんは、いくつかのパーツが断続的に切り替わるような状態で生きています。生まれた直後から呼吸や栄養摂取が始まり、さまざまな感覚や感情の交流が養育者との間にスタートしますが、そのひとつひとつのパーツはまだバラバラで完全にはつながっていません。

しかし3歳くらいになるとまた変わってきます。子どもは、夢中になっているテレビをいきなり消されたら、怒ったり悲しがったりするようになります。「それを見たいという状態」が持続するからです。パッと入れ替わるのではなくパーツとパーツの間に余韻が出てきます。

この自我状態(パーツ)の多様化と、状況に応じたスムーズな移行が、まとまりのある自己感を作り上げていきます。 そして、その基礎になるのが、養育者との適切な関係性で、気持ちのドレミファをつける情動調律の作業になってきます。

これが一般的な場合ですが、解離の場合は、養育者との適切な関わりがなかったために、赤ちゃん時代から発達していないバラバラな状態が残っている状況ともいわれています。発達の初期にひどいトラウマを受けると、そのパーツを囲う壁がガッチリとできてしまい、他のパーツとの風通しがなくなってしまいます。

つまり「多重人格」と呼ばれてきた症状は、パーツ(自我状態)のバラエティが逆に少ない上に、「この自分」と「あの自分」がスムーズにつながっていないのだ、という考え方ができます。その視点で考えると、解離症状がない人の方が「超多重人格」、ようはバラエティに富んだパーツをもっていて、無意識レベルで状況に応じて無数の状態を行き来していると言えます

上記のことから、トラウマから回復し、解離を必要としなくなるということは、その人の中で主体的にスムーズに心の状態を切り替えることを学んでいくプロセスだということになります
このプロセスでおすすめなのは、パーツについての理解を深めることができる「パーツ心理学」というものがあります。当サロンでもパーツ心理学をベースにトラウマケアをサポートしているので興味がある方はお気軽にご連絡くださいませ。

・身体の自然なコントロールができない

DESNOS のC症状は、身体に出てくる調節障害です。喘息や過敏性大腸炎、原因不明の疼痛、慢性疲労症候群などがあります。これらの症状は自律神経系や免疫系の調節がうまくいっていない状態です。

虐待を受けている子どもや、DVを受けている女性の身体では、危機状態に対処するため交感神経系が興奮していますが、一方で、解離が起きることにより副交感神経系もMAX状態になっています。覚醒レベルを数字で簡単に表すと、闘ったり・逃げたりする際に働く交感神経は100に近い状態で、凍りついたり固まってしまって解離状態に陥ってる場合は0に近い状態です。これは、アクセルと急ブレーキを同時に踏んでいるのと同じことなので、身体のバランスが崩れてしまうのも無理はありません。

自律神経系を安定するためには、身体からのアプローチがおすすめです。末端からストレッチをしてみることから、呼吸に意識を向けてみたり、温泉や、お湯にゆったりつかったり、整体やマッサージを受けたりなど身体の感覚を味わえるものを少しずつ増やしていきます。

もちろん、睡眠や栄養、適度な運動など、規則正しい生活を意識することも自律神経を整えるのに大切なものです。

当サロンでも、自律神経を整える整体マシンやオイルトリートメント、リソース(心と体が心地いいと思うこと)構築を一緒にやったり、自律神経を整えるのに特化したポリヴェーガル理論をベースにトラウマケアのセッションをご用意しています^^自分ひとりでは何をしていったらいいかわからない方はひとりで悩まずに一緒に考えていきましょう。

・自分と相手

DESNOSのD症状は、自分や相手、世界に対する見方、考え方に関するものです。トラウマ記憶は冷凍保存記憶のような状態だと言われているように、そのときの感情や感覚、その根っこになる見方、考え方 (認知) がまだ生々しく残っています。

自分を傷つけた加害者の考えをそのままとりこんでしまっていたり、本来の「ありのままの自分の姿」ではなく、トラウマ記憶によって歪んだ鏡に映った自分の姿を見ています。
それと同時に相手のことも歪んだ状態で見ています。たとえば加害者の行動が間違っているのに自分が「そうさせた」のだと思ったり、加害者のことを理想化してしまったりします。親切にしてくれる人が怖く思えたり、自分にとって安心な人に対して無性に怒りを感じたり、世間や世界そのものが怖くなったり、信頼できないと思ってしまいます。

自分や他人、世界が、実際の姿とは違って歪んで見えてしまうため、安定した関係を育てるのが難しくなります。人を信じることができなかったり、相手が自分の中に土足で踏みこむことを許してしまったり、相手に限界があることを認められずに過度に期待したりしてしまって怒りや落胆を感じやすくなります。

自分と相手をありのままに捉えて適度な距離感で接することができるようになるためには、バウンダリー(心の境界線)が大事です。バウンダリーについてもセッションの中で扱っています。このバウンダリーは自分や相手について知るのにとても興味深い内容なので、トラウマケアのセッションを受けている方はぜひ楽しみにしていてください^^

・生きている意味

DESNOSのE症状は、人生観・世界観にまつわるものです。絶望感にとらわれ、誰も助けてくれない。誰も信じられない。自分の人生に、いいことなんて起こるはずがない。いいことが起きたら、それは悪いことの前触れだ。。。
こうした見方、感じ方は、トラウマ記憶に刻印されたそのときの認知から来ているので、変化するのはなかなか難しいですよね。

でもあなたが今まで、よく見えるためにかけていたと思っていたメガネが実は「歪んで見えるメガネ」だったと気づいたら、その見えにくいメガネは、もうはずしてみませんか。
徐々に自分本来の姿が見えてきたり (素敵なところも、困ったところも)、周囲の人も現実のサイズで見えてきたり、人生もこの世界も、違った風景で見えてくるかもしれません。「歪んで見えるメガネ」をつけて苦しんでいた時間とさよならすることはできます!

明日も生きるために一歩を踏み出すあなたへ

当サロンはもともと、ACEー幼少期に逆境を体験した人たちにとって、安全基地の一つにでもなってもらえればというのが目的でオープンしました。そのコンセプトにより添えるように、最近、PTSDを抱えた方にも効果的なトラウマケアを新たに専門で学び始めました。認知行動療法ではなかなか効果の出にくい相談者さんにも安心して取り組める内容でより効果的にアプローチできるようになっています。

DVや虐待など慢性的なトラウマの場合、「異常」な空間にいることに本人が気づくのが遅くなってしまうことが多いので、身体にはもちろんですが、心に深い傷を遺します。身近な人、守って愛してくれるはずの親や養育者、家族、パートナーが加害者になるので、だれかをまた信頼して奮起するのは本当にエネルギーのいることです。私もそうだったのでそれがどれだけ大変なことなのか容易に想像できます。

なので、今私を頼ってきてくださるひとりひとりのことを心から大切に愛おしく思っています。今日をとりあえず生きるために必死だったあなたが、明日も生きるため自分自身のために踏み出している勇気を心の底から尊敬しています。そのあなたの勇気の後押しができることを本当にうれしく思っています。明日も一緒に生きていきましょう^^

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
先日、水没林で有名な山形県にある白川湖でサップをしてきたのでその様子を動画にしてみました。
自分を感動させるのもひとつのリソース構築になるので私は定期的に自然へ足を運ぶようにしているのですが、朝の水没林は自分の想像を超えてくる絶景でした。少しでもその感動が伝わればうれしいです^^

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