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ネガティブに考える勇気ー偽りのポジティブ思考との訣別

「ポジティブ思考」は自分も周りも明るくさせて、前向きに生きることができる、心身の健康に欠かせないもの・・・そんなイメージが強いですが、実は私たちの健康において「ネガティブ思考」が重要であることはご存知でしょうか?

二年近くを費やして行なわれたある研究によれば、楽しい夢想にふける傾向のある乳がん患者は、より現実的な考え方をしている患者と比べて治療後の経過が悪いということである。またネガティブな感情を表わすことの少ない患者も、やはり予後が好ましくなかったということである。

乳がんが再発した女性についての別の研究では、「一年間の追跡調査によると、[心理的な]ストレスをほとんど報告しなかった患者(・・・・)そして他の人から『順応性がある』と評価された患者のほうが、死亡する率が高い」ことが明らかになっている。

ー出典:身体が「ノー」と言うとき

 

私自身今まで、ポジティブでいることが幸せにつながると思っていましたし、健康にもいいと思っていました。こどもの頃からどんな酷い言葉を浴びせられてもニコニコ笑ってれば、自分から汚い言葉たちを振り払うことができ、少しずつでも自分に自尊心をくれるような気がしていました。

確かに真の喜びや満足感は身体に良い影響を与えてくれます。が、精神的な不安を抑え込むために生まれた「ポジティブ」な精神状態は病気に対する抵抗力を弱めてしまうそうです。

治癒を表す「healing」は全体(whole)を意味する言葉を語源としています。そして「wholesome」という言葉は「健康な」という意味で使われます。つまり、治癒することは私たちが「全体」になることと言えます。私たちが「全体」ではない、不完全であるということは、完全な状態から何かを取り去っている、または全体の調和が乱れて協働できなくなった状態です。

病気は外からの侵入者、異物ではなく、体内の不調の現れと捉えることができるなら、健康になるための潜在能力も病気になる可能性も私たちの中にあるということになります。

私たちが健康になるためには、私たちの内側に目を向ける必要があります。そのためには「本当のポジティブ思考」を身につけることが大切です。

それは、あらゆる現実を認めることから始まります。そしてそれにはたとえどんなダークな真実が出てきてもそれを直視できるという自分に対する信頼感が不可欠です。これには私もハッとさせられました。ネガティブな面に片目をつぶって歩むくせは、子どもの時に身につけたある種の防衛手段で不安を閉じ込めるためだったり、それ以上惨めにならないよう傷ついた自分に気づかないための対処パターンの名残りであること。殴られても痛みに鈍感になることで自分は大丈夫、強い自分のままだと言い聞かせる方法を大人になっても無意識のうちに選んでいること。自分を直視すると空っぽで何もない自分が出てきてそんな自分を見つけてしまったら壊れてしまうんじゃないかという恐れを隠した「偽のポジティブ思考」を持っていたことに気づきました。

「本当のポジティブ思考」を身につけるには、ネガティブに考える勇気を奮い起こす必要があります。ここでいう「ネガティブ思考」は暗くて悲観的な考え方のことではありません。自分自身についてまた自分の人生のネガティブな面を率直に、思いやりを持って曇りのない目で見て自分を知る、自己洞察をすることです。

何がうまくいってないのか?何がバランスを乱しているのか?私は何をないがしろにしてきたのか?私のからだは何に対してノーと言っているのか?心の底から自分に正直に生きているだろうか?それとも誰かの期待に添おうとして生きているのだろうか?両親の希望を自分の希望にすり替えていないか?

この時に必要なのは二重の基準(ダブルスタンダード)を捨てることです。ACEの方の多くは人には思いやりを持って接することができてもなぜか自分だけには厳しい要求をしてしまいがちで自分の中にダブルスタンダードを持っています。自分に対しても一人の大切な友人だと思ってどんな人生を送ってきたのか、どんな面を持っていて必死で闘っているのか思いやりを持って知っていく作業が必要です。

「私たちが感じるストレスやイライラは、本来の自分ではない人間の役割を否応なく果たさなければならないという思い込みから生ずる」とストレス学説を唱えたハンス・セリエは書いています。

どんなに強い人でも助けが必要で、ある部分ではパワフルでも別の部分では無力で途方に暮れる自分もいること。できると思っていたことが、何から何まで全部できるとは限らないこと。自分の中には明るくて受け入れやすいところも、暗くてカッコ悪いところもいろんなイロを持っている。それらを思いやりを持って受け入れることができるなら、ストレスのもとになり体内の調和を乱す「強くて絶対に傷つかない」という自己イメージに合わせた生き方からの解放がはじまるはずです。

スーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義者の説話に、12世紀の聖なる愚者、導師ナスレッディンのこんな話がある。

ナスレッディンは街灯の下で四つんばいになって何かを探していた。「何を探しているんですか?」と近所の人たちがたずねる。

「鍵だよ」とナスレッディンは答える。そこで隣人たちは総出で鍵探しに加わり、街灯の周辺を1センチきざみで注意深く徹底的に調べる。でも鍵は見つからない。

「ところで、ナスレッディン」 ついにひとりがたずねる。「いったいどこで鍵を無くしたのですか?」「家の中だよ」「それじゃあ、どうしてここで探しているんですか?」「街灯の下のほうがよく見えるからに決まっているじゃないか」

ー出典:身体が「ノー」と言うとき

暗くぼんやりとした内側を見るのは、時間がかかり、これまで蓋をしてきた苦痛や葛藤の領域に入るので痛みを伴うかもしれません。それでも自分自身のために勇気を持って問題を見つめることができるなら、偽りのポジティブ思考と訣別し、真のポジティブ思考ー嘘偽りのないありのままの自分を愛することができるようになっていくと思います。そしてその労力を払うだけの価値が私たちにはあります!あなたには自分の中にどんなイロが見えていますか?

今回私が自己洞察に役に立ったのが身体が「ノー」と言うときと言う本です。初めはカウンセリングの仕事をする上で手に取った本ですが、自分が抱えていた気持ちを代弁してくれているようなインタビューが載せられていて自分で読みながらカウンセリングを受けているような気分になります。私たち人間の心と身体のつくりを知っていくにつれて人間のルーツ、人が望まれて存在していることに気づかせてくれる本だと感じました。ACEの方にはぜひ読んでもらいたい一冊です。


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