あなたの生きてきた時間が、だれかの代弁者になるとき

この半年間、川崎市の新百合ヶ丘で
「わたしの物語カフェ」という
人生の棚卸し&自分史作成のワークショップを開催してきました。

このワークショップは人生を“うまくまとめる”ための場ではありません。
立派な自分史を書くための時間でもありません。

ただ、自分の人生を
ひとつの「物語」として、そっと眺めてみる
そんな時間を、たかはし珈琲さんの美味しいコーヒーとドーナツを片手に重ねてきました^^

物語が旅をするとき

物語は、ノートに書いた瞬間に
完成するものではありません。

それは、まだ宛名の書かれていない
一通の手紙のようなもの。

どこに届くのかは、わからない。
いつ読まれるのかも、わからない。

それでも──
語られた物語は、ときどき、思いがけない場所で
誰かの心に引っかかります。

何気なく聞いた誰かの話が、
なぜか、ずっと心に残っていること。

本人は励ますつもりもなく、
用意していた言葉でもないのに、
その人の人生史が、
自分の背中をそっと押してくれること。

そんな瞬間があります。

そのとき、その物語は
「個人的な記憶」から
誰かの人生に寄り添う小さな道しるべへと変わります。

語った人が気づかないまま、
誰かの歩みにそっと並走していることもある。

今日は、そんな
「物語が旅をするとき」についてのお話です。

誰かの人生史が、なぜ心に刺さるのか

心に残る物語は、
必ずしも立派な成功談ではありません。

むしろ──
途中で立ち止まったこと。
迷い続けた時間。
うまく言葉にできなかった想い。

そうした部分にこそ、
人は足を止めます。

なぜなら、
私たちの多くが
自分の中に
「語られなかった物語」を抱えているから。

誰かの人生史が、
自分の言葉にならなかった気持ちを
代わりに語ってくれる。

「これ、私のことみたいだ」

そんな小さな共鳴が起きたとき、
物語は
“読むもの”から
“受け取るもの”へと変わっていきます。

「わたしの物語カフェ」で起きていること

私が主宰している人生の棚卸しワークショップ
「わたしの物語カフェ」でも、
その瞬間に、何度も立ち会ってきました。

ここで語られるのは、
特別な成功体験ではありません。

・思うように進めなかった選択
・遠回りに感じた年月
・何者にもなれなかったと感じた時期

それでも、
その人生を生き抜いてきた
“事実”が、確かにそこにある。

誰かが語った一章が、
別の誰かの沈黙に触れる。

「私も、それでよかったのかもしれない」

そんな言葉が、
あとから、そっと生まれてきます。

物語は、
問題を解決するためだけに
語られるのではありません。

誰かが、自分を責めるのを
少しストップできるように

語られることがあるのだと思います。

物語は、バトンのようにつながっている

この考え方は、
心理学の世界で大切にされている
「物語として人生を俯瞰的に振り返る」という視点とも重なります。

私たちの中には、
いろんな時代の自分、
いろんな役割を担ってきた部分が
共に生きています。

前に進もうとした部分。
守るために黙った部分。
何もできなかったと感じている部分。

どれも、
その時代を生き抜くために
必要だった存在。

物語として語り直すことで、
それらは
「失敗」や「欠点」ではなく、
バトンをつないできた走者
として、姿を現しはじめます。

ある区間を走り切った過去の自分が、
次の自分へ、
バトンを手渡してきた。

立ち止まった区間も、
迷った区間も、
投げ出さずに走ったからこそ、
今のあなたが、ここにいる。

物語として少し客観的に振り返ることで、
それぞれの時代の自分が
“よくやってきた走者”だったことに
気づけるようになります。

羽継ぎ(インピング)という考え方

羽が傷ついて飛べなくなった鳥を救う
「羽継ぎ(インピング)」という技術があります。

傷ついた羽を、
他の羽で補い、
再び飛べるようにする方法。

人生も、同じかもしれません。

私たちは、
誰かの言葉に救われたり、
誰かの物語に勇気をもらったりしながら、
また一歩、前に進んでいく。

それは弱さではなく、
生き延びるための知恵

あなたの物語もまた、
誰かの羽になっているかもしれません。

保護犬ノアと、5歳のわたし

最近、
私自身にも
物語のバトンを感じる出来事がありました。

先日、保護犬のチワワ
ノアを迎えました。

正直に言うと、
これまで私はペットを迎えることに
どこか抵抗がありました。

人間に命を預ける存在が、
幼少期の無力だった自分と重なり、
「かわいそう」という感覚が
強く出てしまっていたからです。

しかし、
トラウマケアの学びの場で出会った
セラピスト仲間たちと犬との関係性は、
“相棒”であり、“師匠”のようでした。

守る・守られるではなく、
共に生きる存在。

ノアが我が家に来てくれたのは、
ちょうど5歳の誕生日の前日

そして、
私自身も5歳のとき、
親と別れ、サバイバルのような人生が始まりました。

声帯を失い、
かすれた声で鳴くノアを見たとき、
不思議と「5歳の自分」をみているような感覚がありました。

守ってほしかったこと。
尊厳をもって扱われたかったこと。
自由に生きてみたかったこと。

それらを、
これから一緒に
経験していけたらいい。

そう思えたのは、
あの頃の自分が必死に生き抜き、
バトンをつないでくれたからだと思います。

あなたの人生は、もう誰かの代弁をしている

あなたの物語は、
完成してから
誰かに渡すものではありません。

未完成のままでも、
意図していなくても、
あなたの人生史は
すでに、どこかで
誰かの代弁者になっている。

あなたが生きてきた時間そのものが、
誰かの人生に寄り添いながら旅をしている。

それに気づいたとき、
人生は
「評価されるもの」から
「分かち合えるもの」へと
姿を変えます。

物語の旅立ちの日

現在開催している
「わたしの物語カフェ」では、
いよいよ最終回を迎えます。

これまで紡いできた物語が旅立ち、
誰かの人生にそっと触れる時間。

また、
2026年3月からは
オンラインでのワークショップ
スタート予定です。

自分史を書こうと思っていなくても大丈夫。
ただ、自分の人生を
少し丁寧に振り返ってみたい方にも
おすすめです。

あなたの物語が、
誰かの継ぎ羽になる日。

そして、
あなた自身が
誰かの物語に救われる日。

そんなあったかいサイクルを
一緒に味わっていけたら嬉しいです。

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