人の顔色は読めるのに、自分の心が読めないあなたへ

「どこに行きたい?」
「何が食べたい?」
「本当は、どうしたい?」

その問いに、すぐ答えられなくても不思議ではありません。

相手が疲れていそうなことは分かる。
今日は少し機嫌がよくないことも、声のトーンで分かる。
この場では何を言えば丸く収まるのかも、なんとなく分かる。
なのに、自分のことになると分からない。

「私はどっちでもいいよ」
「みんなに合わせるよ」
「別に嫌じゃないから、大丈夫」

そう答えたあと、家に帰ると、肩が石のように重くなっている。
楽しくなかったわけではない。
誰かに嫌なことをされたわけでもない。
それなのに、胸の真ん中に、何とも言えない寂しさが残っている。

もしかするとその寂しさは、今日も置いてきぼりになった「自分の気持ち」なのかもしれません。

あなたの中の「空気を読む係」

前回の記事では、私たちの心の中には、さまざまな役割を持つ“社員”がいる、というお話をしました。
今回の主人公は、「空気を読む係」です。

この係は、とても優秀です。
誰かの眉がほんの少し動いたこと。
返事までの間が、いつもより長かったこと。
部屋の空気が一瞬だけ冷えたことまで、見逃しません。

空気を読む係が得意なのは、相手の気持ちを想像すること。
場の変化に気づくこと。
困っている人を見つけること。
問題が大きくなる前に、先回りして動くことです。

この係がいたからこそ、人との関係を守れたこともあったでしょう。
誰かの孤独に、いち早く気づけたこともあったかもしれません。

でも、この係には苦手な仕事もあります。
「私はどうしたい?」と考えること。
相手と違う意見を持つこと。
誰かを少しがっかりさせること。
不機嫌な人を、その人の課題として置いておくこと。

空気を読む係は、周りの人の感情を、すぐに自分の担当案件として受け取ってしまいます。
相手が少し黙っただけで、
「私、何かしたかな」
「機嫌を直さなきゃ」
「この場をなんとかしなきゃ」
と、社内に緊急アラームを鳴らしてしまうのです。

発言の順番が回ってこない「感情開発部」

一方、心の会社には「感情開発部」という部署もあります。
これは私がつくった名前ですが、自分の内側を知るための大切な部署です。

感情開発部の仕事は、好き、嫌い、怖い、うれしい、疲れた、寂しい、そんな自分の感覚を受け取り、まだ言葉になっていない願いを見つけることです。

この部署は、
「なぜか、こっちが気になる」
「この人といると、少し呼吸が楽になる」
「この場所では、身体が縮こまる」
といった、数字では測れない情報を集めています。

しかし、空気を読む係が働きすぎると、感情開発部にはなかなか発言の順番が回ってきません。

空気を読む係は、誰かの表情が少し曇っただけで、
「今は相手を優先しましょう」
「この意見を出すと、場の空気が悪くなるかもしれません」
「自分の希望は、あとで考えましょう」
と、すぐに判断します。

しかも、その速さは、ほとんど反射のようです。
感情開発部が小さく手を挙げる頃には、空気を読む係が先に返事をしていることもあります。

感情開発部に、声がないわけではありません。
ただ、長いあいだ採用されない声は、やがて小さくなっていきます。
そんな状態で、ある日突然
「で、本音は?」
「結局、どうしたいの?」
「はっきり決めて」
と迫られても、すぐに答えられなくて当然です。

必要なのは、空気を読む係を黙らせることではありません。
まずは、
「いつも周りを見て、私を守ってくれていたんだね」
と、その働きを認めること。
そのうえで、会議の中で静かになっていた感情開発部にも、少しだけ時間を渡してみることです。

ここで、少し立ち止まってみましょう。
今日の心の会議で、空気を読む係はどれくらい話していたでしょうか。
そして感情開発部は、どこかで小さく手を挙げていなかったでしょうか。

自分の声を聞くことは、わがままなのか

日本では、「空気を読むこと」「迷惑をかけないこと」「周りに合わせること」が大切にされる場面が少なくありません。
そのため、自分の気持ちを確かめることに、
「わがままでは?」
「自己中心的に見えない?」
と感じる人もいるでしょう。

そもそも、「自分の声を聞く」という考え方自体を、教わらなかった人もいるかもしれません。

でも、自分の声を聞くことと、自分の希望だけを押し通すことは別です。
自分の声を聞くとは、「私は今、こう感じている」と知ること。
それは、反射的に引き受けるのではなく、自分の状態と相手の事情の両方を確かめてから選ぶことです。

それは、わがままではありません。
自分を置き去りにせずに、人との関係を考えるということです。

心の会社でストライキが起きたら

自分の気持ちを知らないまま我慢を続けていると、ある日、自分の心の会社でストライキが起きることがあります。

何もしたくない。
誰にも会いたくない。
なぜかイライラする。
身体が鉛のように重く、動こうとしてもエンジンがかからない。

それは性格が悪くなったわけでも、怠けているわけでもありません。
ずっと発言を止められてきた社員たちが、
「これ以上は働けません」
「そろそろ私たちの声も聞いてください」
と、プラカードを持って立ち上がっているのかもしれません。

このときは、すぐに原因を解決しようとするより、まず回復を優先することが近道です。
眠る。
予定を減らす。
温かいものを飲む。
一人で抱えず、安心できる人に話す。

ストライキを力ずくで終わらせるのではなく、何を訴えているのか聞ける状態まで、心と身体を休ませる。
変化より先に、安心が必要なときもあります。

自然の中では、声が少し聞こえやすくなる

旅行に出たときや、海、山、公園などで過ごしたとき、急に自分の気持ちが見えてくることがあります。
「本当は、ずっと疲れていたんだ」
「あの予定、少し無理していたかもしれない」
「私は、こういう静かな時間が好きなんだ」

自然の中では、声が少し聞こえやすくなることがあります。
木は「早く決めて」と言わないし、川は「もっと頑張って」と評価しません。
外から入ってくる情報が静かになると、意識は少しずつ身体へ戻ってきます。

自然は、心を一瞬で変える魔法ではありません。
でも、外の音を少し静かにして、自分の声を聞き直す場所にはなってくれます。

遠くへ旅行しなくても大丈夫です。
近所の公園、川沿い、街路樹のある道、大きな木の下、ベランダでもかまいません。

今、この場でできる小さな練習

ここで、この記事を読みながらできることを一つだけ試してみましょう。

今の姿勢のまま、少しの時間呼吸を感じてみてください。
そして、ほんの少し呼吸が楽になる姿勢へ、身体を動かしてみます。

背もたれに寄りかかる。
肩を少し下げる。
足の裏を床につける。

正しい姿勢にする必要はありません。
「少し楽かも」と身体が感じる場所を探してみてください。
それが、自分の声を聞く最初の練習です。

日常では「少しマシ」を選んでみる

いきなり「本当の自分はどうしたい?」と聞く必要はありません。
その質問は、感情開発部に、いきなり年間計画を提出させるようなものです。

まずは、小さな選択から始めます。
温かい飲み物と冷たい飲み物なら、どちらが少しいいか。
今は誰かと話したいのか、静かにしたいのか。
明るい部屋と少し暗い部屋なら、どちらで肩が下がるか。

「好き」が分からなければ、「少しマシ」で十分です。
「行きたい」が分からなければ、「行ったあとに元気になりそうか」「どっと疲れそうか」でもかまいません。

予定に誘われたときも、すぐに返事をしなくて大丈夫です。
「少し確認してから返事します」
と伝えて、感情開発部との短い会議時間を取ってみる。

そして、
「相手はどう思う?」
と考えたあとに、一つだけ質問を足します。
「ところで、私はどう感じている?」

身体は、感情のいちばん早いサイン

気持ちが言葉にならないときも、身体には小さな変化が現れることがあります。
身体の反応は、思考よりも先に起こることがあります。
そのため無視されやすい一方で、自分の内側から届く最も早い信号でもあります。

例えば、ある選択を考えたときに、喉が詰まる。
反対に、別の選択を思い浮かべると、少し呼吸が深くなる。
そんな小さな変化は、「何か感じている」と気づく手掛かりになります。

身体の反応は、感情開発部から届く最初の通知です。
まだ「なんとなく嫌」「少し苦しい」という短い知らせだけで、理由までは言葉になっていないこともあります。
それでも、「何か届いている」と気づくことが、最初の一歩になります。

人の気持ちと同じように、自分の気持ちも大切にする

人の顔色を読む力を、なくす必要はありません。
その力はこれまで、あなたが傷つかないように、人とのつながりを失わないように、周りの様子を懸命に確かめてきました。

誰かの声が少し低くなったこと。
笑顔の奥に、寂しさが隠れていること。
言葉にはならない「助けて」に、いち早く気づくこと。

それは、単なる「気にしすぎ」ではありません。
周りの小さな変化に気づく観察力。
相手の立場を想像できる思いやり。
危険を早く察知し、自分や誰かを守ろうとする知恵。

あなたがこれまで生きてくる中で、身につけてきた大切な力です。

ただ、これからは、周りの気持ちだけで全てを決めなくてもいいのです。
「相手はどう感じるだろう」
「断ったら、困らせてしまうかな」
そう考えたときに、もう一つだけ問いを加えてみてください。

「私は今、どう感じているだろう?」
「本当は、引き受けたいのかな」
「今の私には、できる余裕があるかな」

すぐに答えが分からなくても大丈夫です。
長い間、自分の気持ちより周りを優先してきた人にとって、自分の声を聞くことは、慣れていない外国語を聞き取るようなものかもしれません。

最初に分かるのは、はっきりした言葉ではなく、
その予定を考えると、胸が少し重くなる。
「断ってもいい」と考えると、ふっと息がしやすくなる。
そんな小さな身体の変化かもしれません。

大きな決断から始める必要はありません。
誰かに誘われたとき、すぐに返事をせず、
「予定を確認してから返事するね」
と伝えてみる。

飲み物を選ぶときに、
「今は、どちらのほうが飲みたいかな」
と身体に聞いてみる。
疲れていることに気づいたら、
「あと少し頑張れるか」ではなく、
「今日はどこまでなら無理をせずにできるか」
と考えてみる。

そうやって、小さな選択の中で自分の感覚を確かめていくと、少しずつ自分の声が分かるようになっていきます。

「今日は休みたい」
「本当は寂しかった」
「これは、なんだか好き」
「それは、少し嫌だった」

その一つ一つは、わがままではありません。
自分の気持ちを知ったからといって、いつもその通りに行動しなければならないわけでもありません。
相手の事情を考えて引き受ける日もあれば、自分の余裕を守るために断る日もあります。

大切なのは、周りに合わせて反射的に決めるのではなく、自分がどう感じているのかも確かめてから選ぶことです。
それは、自分勝手になることではありません。
人を大切にする輪の中に、自分のことも入れてあげるということです。

人の顔色を読めることは、弱さではありません。
それは、あなたが生きていくために育ててきた、繊細で賢い力です。

これからは、その力を周りの人だけではなく、ほんの少し自分にも向けてみてください。
今日、何か一つを選ぶときに、
「私は、どちらのほうが少し楽だろう?」
と問いかけてみる。

答えがすぐに出なくても大丈夫です。
自分の声を聞く練習は、正解を当てることではありません。
「私は今、何かを感じている」
と気づいてあげることから始まります。

ずっと誰かの声を聞くために澄ませてきた耳を、少しだけ自分の内側にも向けてみる。
そこから、置いてきぼりになっていた自分との会話が、ゆっくり始まっていくのだと思います。

その声は、急がなくても消えません。

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